過去の日記を見て(1)


まず、主な論点から言いますと、「書き始めた月の文章読みにくいなーやれやれ」です。
以下、動機・経過。どうぞ。




最近、自分が無意義だと思える行動を極力やめるよう努力しています。
そう――それは努力と言えるものでした。
惰性でプレイしているゲームをやめ、大して成長の糧にならない受動をやめる。
それだけのことなのに豪く苦しく辛い、「なんだかなー」な努力。
でも、それでもまぁ有意義かな、と。


そうやって無意義な行動を削いでいった結果、普段やれることが少なくなってきました
ちょっと前まで、いかに惰性で主体性のない行動を取っていたかと思うと情けなくなります。
まぁそれはさておき、こうなってくると新たに有意義な行動を増やす必要があります。
どうやって探そう・・・考えました。
ふと、過去の日記を読みたくなりました。




ネットを始めて8年3ヶ月、ホームページ運営を始めて7年8ヶ月、ここで日記を書き始めて3年4ヶ月。
ネットの世界に対する熱意はどんどんフェードアウトしていきましたが、
逆に言えば初期の熱意から何かを見つけること、感じることができるのでは・・・と考えました。
そうして、まずは2004年7月の日記を読みまし


・・・読みたくない(汗)。
なんでだろう、これは読んでいて疲れる。
文体はあまり変わっていないように見えるけど・・・。




原因として、「1小節に詰め込みすぎだろう」と考えました。
個人的な基準としては、詰め詰めの文章だとせいぜい5行まで。
5行を超えるとだと、ごっちゃりしてて視覚的にあまり読みたくなくなる気がします。
――ただし、論理的な文章構成を成していて、何かを考えさせてくれる論文は別。


自分が目指している文章は、きっとその辺り。
教養ないですけどね。少し泣ける。




(1)は、「いい文章書きたいなぁ」と思ったことについて。
(2)に続く・・・ためには、見づらい過去日記読む必要があるときたもんだ。
うぐぅ